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  1. 、という言葉の響き抗がん剤や放射線の威力を覚悟しておけよと言われているようで私の心はまた重くなるのだった。息子はこわくはないのだろうか。粘膜障害のひとつである口内炎をいわゆる普通の口内炎ではないとわからせるために看護師さんから症例写真を見せられたりしているそうだ。「すごかったで。なんかもう口じゃないみたいになってた」と息子は驚いていた。抗がん剤とか放射線こわいよね、と息子に言ったら「うーん、オレ別に自分が死ぬのは何とも思わへんねん。死ぬ、て言われてもふーん、て感じ。けどなぁ、家族が悲しむやろ?それが嫌やねん」と言った。その息子の態度からはほんとは死ぬのがこわいけど強がっているとか私を心配させないように振るまっている、というふうには見受けられなかった。主治医も息子が恐怖や不安にかられているといった様子ではないことが不思議だったようで「何か息子さんにお話されてるのですか」とたずねてきた。私は白血病と告知された日に病気のことを検索しまくったりしてネガティブな情報に心を支配されないようにしてほしい、と言ったことを説明した。しかしいくら母親がそう言ったからといって病気のことが気になる人は検索するものだ。息子の場合はほんとに病気のことに関心が薄かったことそれゆえ移植前説明にしても集中して真剣に聞くことがなかったためそれほど詳細に知識が頭に入っていないことそれらのことが今の息子の態度となって現れているのだ。息子は強い。親の私たちよりうんと。自分の命がかかっているのにまだ20歳という若さなのにこの状況でこんなに泰然としていられるなんて。悲観的だと思っていた主人でさえこの状況に動じているふうはない。じつは一番弱いのは私かもしれない。

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    移植前検査
  2. 冒険日記【345日目】〜次女、見参〜
  3. り合って泣きました病院に搬送され、レントゲンやCT、血液検査などひと通りの検査をしましたが幸い異常なしずっと立ちっぱなし+アルコール摂取で、脳への血流が減ったこと水分不足による脱水が原因だろうとのことでした。意識がないときの いびき は、おそらく睡眠時無呼吸症候群の症状ではないかと思われます。(CPAPで治療しています)どこか痛いところは無いかと聞かれ、心臓マッサージされたところが痛いと答える父「それは、ご家族の愛情の痛みですよ」と看護師さんに言われてました笑帰宅してからは、ほんとうにいつも通りでさっきまで意識不明だったとは思えないほどでした。「息してない」と分かった時には一瞬最悪の事態も考えましたがなんともなくて本当によかった大勢集まっていて人手があってそれぞれがテキパキと動いて医療従事者がいて大きな事故に繋がらずに済みましたとはいえ、来年からはBBQはやめてみんなでお店に焼肉を食べに行くことに「じいじ、いつのまにかおじいちゃんになったんやね」という甥っ子の言葉が刺さります。ずっと頼りがいのある大きな父だと思っていましたし、本人もそのつもりだったようですがもう無理はさせられないなと実感しました。元気に回復したから言えることですが本人にとっても、私たち家族にとっても良い経験になりました。あとから娘が「AED借りてくればよかったね」と言っていました。目の前の公民館にあるはずです。頭ではわかっていても、とっさの時には思いつかないものですね。ちなみに弟の奥さんは 初心臓マッサージ だったそうです病気を忘れる時間を作ろう!治療だけ・病気だけに集中しがちな毎日ちょっとだけよそ見をしませんか?なりたい自分になるメイクをしたあなたにはきっと違う毎日が待っている

  4. ー飛ばして駆けつけ病院様々な検査をして約1カ月後病名腹膜がんがわかった11月15日あれから約4年半とうとうお別れもう体調を書く用紙もなく血液も尿も血圧も測らない体重は先週と同じで体脂肪率がマイナス1で 17%腹水は同じかなまずは、薬剤師さんと面談をしてから診察室へジャーンdvdをかかげる主治医すでに転院手続きデータをまとめてくれていたらしいえらい!今日は緩和病院まで1カ月あくのでその分の薬を出してもらう計画1週間麻薬でコントロールできたのでこの調子副作用の様子をみながら3〜4時間用だった麻薬ナルラピドを24時間用のナルサスに変更ナルラピドは具合悪くなったときに追加で1時間経ったらのめるすぐれものいわば、おい麻薬これは安心そしてまたまたまた?主治医に聞きました先生、余命わかりますか?「わからない だって、肺と肝臓、キレイなんだもん」ふーん、そうなんだ「緩和どうだった?パンフレットもらったの? 見せて」歴史ある緩和病院カフェもコンビニもないけどレトロな売店と喫茶がある全体的に天井が低くトイレが古いかなでもマンパワーこそが大事だから主治医、薬剤師、看護師さんとしばし雑談あとの手続きは病院間のやりとりへってことで最後の挨拶後記念にお願いしてみた主治医は3人目彼には1年くらい担当していただいた私にとって病院は会社の人の次に会う頻度が高かったところ受付と看護師さんにもラスト挨拶お世話になりました、やっと絞り出すもう泣きそう今年は鯉のぼりが覗ける桜を見に連れて行ってもらいました

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    4年半通った病院を卒業